見渡す限り草原の処々にサゴ椰子の林やラワンや雑木の森が黒い影を落として、折しも昇り掛けた満月に白い帯の様に草原や林の所を曲がりくねって一条の小川が流れている。小川の岸辺の岩の上に一匹の沢蟹が仁王立ちになり両の鋏を振り上げて目玉をニョキッと突き出して、じっと動かない。 その目は敵の動静を素早くキャッチするアンテナである、さらさらとゆるい流れの水面にもう一匹の蟹が黒黒と映し出されている。 椰子の葉影を通して満月の縞状の光が月の昇るに従って影を生き物の様に動かすのである。蟹は自分の影に限りなき敵意を燃やし鋏を立て八本の足は爪立ちの形に体を九十度近く立て、月の落ちる迄自己の影に対峙するのである。 月光に照らし出された蟹の姿は今でも眼を閉じればありありと浮かんで来る、而しこれが真実この眼で見たものであったのか、私の想像力が描き出した虚像であったのか、又南十字星の下での仮寝の夢か、月光の中での転寝の中での夢想であったのか、三十有余年の年月の霞の中で薄れて行くのである。而し月夜蟹が真実空身に近く脂も肉も少ないカサカサと味気ないものであったことは事実であり、而もこの空身に近い月夜蟹でも大事な大事な蛋白源であり、カルシューム源であったから月夜の前後だからと云って、日課の蟹取りを休む訳にも行かない。澱粉工場での一日のノルマが済んでから小川に這入り手さぐりで沢蟹を泥の中から漁るのである。 初めの二、三匹は夢中で口の中へ抛り込むのである。夕食まで待つ事が出来ない、それは喉から黒い手が飛び出して、小さな甲羅を被った生物を行き成り口の中に引き込んで仕舞う感じである。泥の中で手に触れたものが蜻蜒(やんま)のさなぎであろうと草鞋(わらじ)虫であろうと生きて動くものなら何でも手当たり次第口の中に抛り込んで仕舞う。「生で喰うのか」それは愚問である、而し蛭丈けは生で喰わなかった、そのことは後で述べよう。こんな事もあった、蟹を捕り乍らバリバリとやる、鋏が唇を夾んで離さない、ち切れた鋏が唇に喰い付いている、それを両の手で静かに外して口の中に入れる。逆さにしても鼻血も出ない程弱っていても唇から赤い血がしみ出ている。笑うに笑えぬ風景である。 脂も身もない月夜蟹でも食べられたから、そして月夜蟹の様に敵の影に怯えたり、空腹を気が違う程???したりしていたら、体力のない事連隊一、病弱にさえ見える私が、どうして生きて故国の土を踏めただろうか、 考えてみると不思議である、第一回目の応征の南京攻略の折りも「御身ご大切」と常に安全を念じ、少しでも敵弾が来ない様に民家の影に隠れていた老兵が敵の迫撃砲弾で真っ先に戦死して仕舞った、これは戦死する運命を、動物的予知感覚が「御身大切」と云わしめたか?私には解らない。 ニューギニアでも飢えに耐えられず「殺して呉れ」と頼んだ兵隊はついに気が狂い自分の糞まで喰い、挙げ句の果てに狂い死にした。月夜蟹が痩せるほど神経を使うから身が空になるのかどうか、或いは月夜の頃蟹が産卵する為に痩せるのか、私は学者でないから解らないが、肉体の苦労より神経戦がどんなにか肉体に影響するものか私は今にしてつくづくと感じさせられた。