
「小野死す」我と我が口から出た死の宣言を我が耳で聞いた瞬間私は死んだと思った。
少なくともその瞬間私は死に直面し、慄然として冷たくなった心の中で叫んだ。
「人を呪わば穴二つ、何と云う浅はかなことを・・・」悔恨で胸が張り裂ける思いだった。「小野死す」これは私の口から出た言葉ではあるが、私が言ったのではない。
法華経ではこれを発言(はつごん)と云うのだそうだ。佛が言わせるのだから間違いはない、今まで私の口から「誰々死す」と出たら必ず、その人は死んでいた事に、ついては発言の章の「予言」で述べた通りであるので、私が私は死んだと思ったのは自然であり実感であった。私は死んだと思っていたので静かに周囲(あたり)を見廻した。そこには毎日見慣れた幕舎の中の風景があった、私は思わず両手を心臓の上に重ねた、微かな鼓動が掌(てのひら)に伝わって来た、私は生きている!私はまだ生きている!と思った一瞬、歓喜と悔悟の入り交じった涙が頬を横切った。
「何と云う愚者(おろかもの)!何と云う自分勝手な男だ!」「自分丈け助かれば他人は死んでもよいのか」つくづくと自分の醜い心の中を覗き込んで情けないやら恐ろしいやら・・・・そして、私を赦し助け、そしてお守り下された佛様の慈悲に感涙し、「どうぞ私たち二人をお守り下さい」と改めて祈ったのだった。
私はその頃、何の宗教団体にも這入っていなかったし、宗教がどんなものか少しも解らなかったし(今でも只霊友会に籍は置いているが会合に出た事はなく、毎月自分流でお経を上げている丈で宗教については何一つ解っておりません)ただ母親の霊が自分を守って呉れていると漠然と思っていた程度でした。それに姉が呉れたお題目を大事に持っていた丈けでしたが、このことがあってからは「南無妙法蓮華経」即ちお題目が本当に有り難く、何よりも力強いお守りになりました。只だ只だお題目を唱えれば、如何なる難関も切り抜けられると思う様になりました。お題目そのものが有り難い霊験灼(あらたか)なものに思えました。
私は筑波軍曹の生き霊を恐れるかわりに「筑波軍曹をお守り下さい」と祈る様になった。「二人とも内地の土を踏めるようお守り下さい南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経」と祈る内に私を夜な夜な苦しめた生き霊もそれっきり出て来ないし、筑波軍曹も、しきりに「小野さん私を見捨てないで呉れ」「私を一緒に日本へ連れて帰って呉れ」と云う様になりました。
その頃病棟内では頻りに内地帰還船が来ると云う噂が立っていました。
命を守る最低の食糧しかない病院の生活に兵隊達はもう我慢が出来なくなり帰心矢の如く、毎日毎日船が来る事を祈っていたのでした。 |