筑波軍曹は今度も入院を拒否されて戻って来た。私は心ひそかに、「虱に喰わせる血があれ丈残っていたんだもの、まだまだ健康状態は上等の方だ、不許可は当然のことだ」と思っていた。「彼は気があかんのや、わしの方が余程体が衰弱している、わしやったら一遍に通過や」と思っていた。而し、一遍で通過せんことには何か自分が必要以上に自分を甘やかして居るみたいでいやだったので、医務室の診断も受けず日々の使役にも出ていたが、どうにも我慢が出来ず、意を決して医務室に行き入院手続きを取ることにした。 半日掛かりで宿舎から桟橋のある海岸べりの野戦病院まで、よたよたと歩いて行った。診察を受けると早速入院と決まった。 野戦病院と云っても、天幕を張り野戦用の担架が並べてある丈の病兵収容所に過ぎない。勿論看護兵も居るし軍医も居るしろくな薬でなくとも薬もあるし病人にとっては少しはたのもしいのである。それは起きているのが辛い病兵にとっては公然と寝ていられる事が嬉しいのである。まして六キロ以上も行軍して疲労している時には、寝ていられる事は嬉しい。翌朝点呼が済み、朝食が済んだ頃隣に寝ていた若い軍曹が洗濯物はないかとしきりに、親切顔で云う。最初はちょっといぶかったが、人の親切を無にしてもいけないと思い襦袢と袴下を出してなけなしの石鹸をつけて頼んだ。この軍曹は川崎とか云って病人に見えない程元気だった。川崎軍曹は自分の洗濯ものと私のものの外にもう一人他人の洗濯ものを洗ったらしく、返された石鹸は残り少なく小さくなっていた。「ハヽアこれだったのか、ひどく親切だと思ったら・・・これなら何もお礼もいらん」と思ったが私は甘味が余り好きでなかったのでお八つの羊羹だったか、チョコレートだったか兎に角豪軍の供与に入ってからの下給品の一つを彼にやった。 それからも彼は、煙草やキャラメルや何かしら貰うものがある間は、何くれとなく面倒を見て呉れたがその中私には彼に何もやるものがなくなった。私は甘味の様に栄養上どうでもよいもの又は、煙草の様に害になるものはおしげなく出したが、塩やコプラの様なものは極力大事に隠し持っていた。おいらんではないが金の切れ目が縁の切れ目で、何も貰うものが無くなると彼はそっぽを向いて、又新患に乗り換えて行くのだった。どこの世界にもあるボス的存在で親切を売りものにして、死に掛けている兵隊の持ちものをあさるのだった。 彼は元気だったので毎日の様に給食当番を引き受けていた。三度の食事が飯盒のふたに七、八分目の水の様にシャプシャプのオートミールである。皆んな一呑みに飲み干してしまう、喰った途端に腹の虫がキューと鳴いて、グッと空腹が腹の底から込み上げてくる。飯盒のふたをきれいになめる。水を飲む、それでも腹の虫が鳴き止まない。軍医や看護兵がいくら禁じても、野草を採って喰う。これが病院の供与の実態だから、食事の時間になると患者の目の色が違ってくる。給食当番の配給の仕方を患者の目がじっと見つめる。少しでも少ないと泣き出しそうに悲しい顔になり、少しでも多いと目を輝かして喜ぶ。だから給食当番を多くやるボスのご機嫌を取り煙草や何やらが彼の処へ集まる。だからどうしても配給に不公平が出来る。私はこの不公平がどうにも我慢出来なかった、彼(やつ)なんか死んじまいと思ったこともある。 ある朝、病院長が朝食の配給に立ち会った事があった。私の他にも配給の不公平に憤激して院長に言いに行ったものがいたのだろうか、それとも私が寝ていて知らない間に大声で寝言を言ったのだろうか、丁度その頃の私は衰弱が甚だしく、はた目には今にも死にそうに見えたらしい。