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魂は何処へ行く
再度の応召
美しき富士
  
上陸
製塩隊
  薪取り
  汐汲み
  塩炊き
月の海邊
月夜蟹
パンの実
椰子の葉
ミサツプ岬
終戦
  ムッシュ島の日々

野戦病院へのあこがれ
野戦病院
人を呪わば穴二つ
  腹の虫
  灰色のダイヤ
  生き霊
  悔恨
発言(はつごん) お題目
在るやなしや
トカゲ
ヒルの味
環境と教育

天皇陛下
労働組合の社会的責任は何か
晩年、入院中の歌
 
父の遺稿集について
 
附録






製塩隊


 薪取り



 製塩隊は曹長を隊長に軍曹伍長兵隊取りまぜて十六、七名で編成、釜一基と帯鋸五丁手斧五丁空樽四、五個で海岸から二百米程坂道を上がった小高い丘のラワン林に続いたジャングルの中で毎日塩を作っていた。
 隊長の外は階級に関係なく仕事を分担していた、釜はドラム間を横にして上方三分の一を切り取り舟形にし竈は石と土で築き上げた簡単なもので煙突もなく、只煙出しの穴を明け火の廻りをよくしたものだった。
この製塩場はジャングルを切り開いて作った畳にして約十二畳程の四ツ目立ちで、四本柱も軒も棟も皆ジャングルの雑木を切り倒して、藁で結び付けたもので、まず四本柱の穴を掘り柱を建て、軒を結び付けたるを組んで行き棟を上げてたるを藁で棟と結び付け、サゴ椰子の葉で屋根を葺き建物を安定させる為と、雨よけの為に柱と柱を横木で地上二十糎ほどの所と胸の高さ位の処の二箇所を結び、この二本の横木の間を雑木の枝や椰子の葉で編み建物の三方を腰囲いしてある。一方は開け放されており出入口となっている、塩焼釜が入り口の近くに、どっかと竈の上胡坐をかいている。その側に出来上がった塩の入れ物として二つに輪切りにされたドラム缶が一個置かれており奥の方に仮眠が出来る様に三畳ほど床上げをした休息所がある。休息所と云っても干し草や椰子の葉が敷いてあり、その上に携帯用天幕が一枚敷いてある丈けのものである。
 これが我らの製塩工業である、工場の回りにはラワンの薪が山と積まれている。
 兵隊の宿舎は工場の回りのジャングルの茂みの中に転々とたっている。作業は海水の汲み込み、薪取り海水の煮込みの三つである。海水の汲み込みと薪取りは、時間の制限はないが普通午前中に作業を済ませて午後は休養と自由時間である。
海水の煮込み作業は夕食後から明方迄に終了させ、煙が明け方の空に残らない様にする、少しでも煙が残っていたら大変である、敵機の爆撃を受け、それこそ山の形が変わる程爆弾の洗礼を受けることになるからだ。
私は最初は薪取り班に廻された。
元々農耕班でも病弱で使いものにならないから製塩隊に廻されたので、薪取り班には初めから適さなかった。薪取り班の作業は一抱えもあるラワンを帯鋸を使って切り倒すのである、帯鋸とは鋸の刃が鎖のように帯状に二米程継ながっている鋸で二人一組でボウト漕ぎの形よろしくお互いに息を合わせて引いたり戻したり(相手が引くときには戻す)して切り倒すのである、お互いに引く時に木を切るのであるが私のような非力な兵隊では、力が入らないから引いた時でも、上すべりで少しも木が切れないで息ばかりが切れる、戻すときは相手が引く時であるから切れる。これでは他の組の二倍も時間が掛かり私も疲れるが相手の兵隊も疲れ切って仕舞う、そこで相手が「これでは堪まらないと音を上げて仕舞うので誰とも組手が無くなり、味噌粕的な存在となり、斧で枝を払ったり薪を運んだり雑用に追い使われた。普通作業は午前だけで終わるのであるが私は働きがないから午後も遅くまで薪を運んだり跡方付けをしたりした。
 兵隊達の朝食が各々に終わった頃薪取り班整列の号令が掛かる。兵隊達は上半身裸で褌(ふんどし)一本か半ズボン捻り鉢巻でエーヤー掛声を掛けて帯鋸を動かす、半分以上(中心より余分に)切れると反対側から少しづらして帯鋸を入れる、半分以上切れた処で、斧を入れるのである、斧は倒す方の方向から入れる、斧で切り取られ、支え切れなくなったラワンの大木はメリメリと音を立てやがて、バリン、バリンと天地を轟かせ地響きを立て、倒れる。ジャングルの一角が急に明るくなり青い空が覗き南国の強烈な光がサット射し込む、兵隊達はワーッと歓声を揚げ鉢巻を取って汗を拭う。






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