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魂は何処へ行く
再度の応召
美しき富士
  
上陸
製塩隊
  薪取り
  汐汲み
  塩炊き
月の海邊
月夜蟹
パンの実
椰子の葉
ミサツプ岬
終戦
  ムッシュ島の日々

野戦病院へのあこがれ
野戦病院
人を呪わば穴二つ
  腹の虫
  灰色のダイヤ
  生き霊
  悔恨
発言(はつごん) お題目
在るやなしや
トカゲ
ヒルの味
環境と教育

天皇陛下
労働組合の社会的責任は何か
晩年、入院中の歌
 
父の遺稿集について
 
附録





美しき富士



 薄暗い軍用列車の貨車の窓から漸く夕焼けが始まろうとする空に美しい富士の姿が、頭に雪を頂いた雄大な富士の姿!!!、、、これが見納めだろうか「日本はいい国だなあ」とつくづく富士を眺め「日本の為に死ぬんだ、この美しい祖国を守る為に死ぬんだ」静かに自分に言い聞かせた。
 第一回の応召の時も、そして凱旋の時も私はこの美しい富士を拝んだ、三度目だ、三度とも晴れ渡った空に美しく富士はそそり立っていた、それまでに幾度か私は東海道線を上下した、而し何時も曇りや雨の日だったので正面(まっとう)な富士を見たのは、その時迄に三度丈けであった。そしてその三度共美しい富士を見る事が出来た私は本当に幸せだと思った。







 後に米機の東京爆撃の手引きをした富士だが、日本人なら誰だって富士を美しいと思うだろう、どんなに爆撃を受けた人でも富士が無かった方が良かったと思う人もいないだろう。これは全く私の主観で、申し訳ないが、私は富士を本当に美しい山だと思う、日本が好きだと思う第一の理由はこの富士にある様な気がしてならない。いや故郷の山々、小川のせせらぎ全てが懐かしい。只出征や凱旋という運命の転機とも云える時期に美しい富士を見たから特に印象が深かったのであろう。
 再び祖国の土を踏む事が出来なくても、決して不幸ではないと、キットこの時覚悟を決めたのかも知れないと思う。
 暗い貨車の中で筵を敷いた上に携帯天幕を敷いて横になり乍ら第一回目の応召のこと、そして復員後復職の第一日目が経理部の旅行の日で、私を可愛がって呉れた係長が是非一緒に来いと云って淡路島に行ったこと、その時、綺麗な娘(こ)が二人居て一人は係長の彼女だと誰かが耳打ちして呉れたこと、そしてもう一人の娘(こ)に後日プロポーズして断られたこと、などを思い起こし乍ら、結果的に彼女が断って呉れて、良かったと、負け惜しみでなく、つくづくそう思った、もし彼女がオーケーして呉れていたら、結婚早々、二、三ヶ月いや半年位かも知れない、その熱々の中で後髪を引かれる思いで応召、そして戦地へ、子供が腹の中に居るかも知れない、そんな状況での出征だったらどんなにか辛いだろう、後髪を引かれる思いとはそんなことを云うのだろう、本当に良かった独り身でいて、本当に良かったと心(しん)から思った。喜んで出征する人なんて、一人も居ないだろう、だが第一回の応召に比べて心が軽かった、一回目の時は病母を残しての出征だったし、今回は既に母を亡くし、父親も八十を越え元気々していたし、長兄の兵役は丙種で年齢も四十才を越えていたので兵隊に狩り出される心配はなかった、この長兄が父を見て居て呉れていたので安心だった、そんな訳で、これから何処へ連れて行かれるのか解らない貨車の中から富士に別れを告げる気持ちも、軽やかに、日本晴れ、その日本晴れの心もいつか、自分の子孫を残せないと云う淋しさが黒点となり、心の中の美しい富士を曇らせた。






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