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魂は何処へ行く
再度の応召
美しき富士
  
上陸
製塩隊
  薪取り
  汐汲み
  塩炊き
月の海邊
月夜蟹
パンの実
椰子の葉
ミサツプ岬
終戦
  ムッシュ島の日々

野戦病院へのあこがれ
野戦病院
人を呪わば穴二つ
  腹の虫
  灰色のダイヤ
  生き霊
  悔恨
発言(はつごん) お題目
在るやなしや
トカゲ
ヒルの味
環境と教育

天皇陛下
労働組合の社会的責任は何か
晩年、入院中の歌
 
父の遺稿集について
 
附録




終戦



 昭和二十年九月の中頃彼の属していた東部四二(シニ)部隊は当初の一割以下の員数に減ってニューギニアの守備に付いていた。そして日本の敗戦も知らず、敵機の撒く「日本無条件降伏」のビラを米国のデマ宣伝だと信じていた。前線では時折友軍の発砲する歩兵銃の音を散聞するが敵は相手にせず、発砲もしない。不思議に思っていた矢先九月十五日(実に無条件降伏の詔勅より一ヶ月後である)遂に大本営からの無電をキャッチする事が出来、無条件降伏が本物だと知ったのである。われわれはその日の中に軍の命令により武装を解除され豪軍に降ったのである。そしてウエワクから呼べば届きそうな島ムッシュ島に収容される事になった。全軍が半病人であり大半はかなりひどい栄養失調で髑髏(されこうべ)型か水張型のいづれかで、水張型はまるで目を開けているかどうか分からぬ位むくみが来ており、足の甲は腫れ上がり軍靴も履けず裸足である。髑髏型はひどいのになると背後から見ても肋骨が一本一本数えられる。皮膚を来た骸骨そのものである。この半病人の集団でも銃剣を持っていた間は帝国軍人の気概を持っていたが、さて丸腰になってみると、流石に心細く、落ち着かない。彼は今、「身に寸鉄を帯びず」と云う古文の一句を惨々と思い出し、牛蒡剱(ごぼうけん)への愛着と信頼を噛みしめていた。近代装備の前には三八式の歩兵銃などものヽ数ではない筈なのに、こうして丸腰になった今、その重みをずっしりと感じていた。戦争は終わったのだと云う喜びも、「これからどうなる」と云う不安に掻き消されて、全員黙として声なく、只だ豪軍より指定された道順に従って、屠所の羊の如く力なき歩を運んだ。豪軍が指定した道順の所々にジャングルや林の中に綱を張りめぐらした細い道があり、その入口には日本軍の鉄兜(しかも機銃か何かで、そのど真中を打ち抜いてある)の中に戦友の髑髏(されこうべ)を入れて、一対の木立に吊り下げられており、無言の中に末路を暗示するが如く地獄への道をたどる思いに、かり立てられた。「睾丸(きんたま)を抜かれるって本当だろうか」と心配する兵隊。「奴隷にされる」と心配する兵隊。而し目的地へ到着する迄は無言を命ぜられているので誰も喋らない。死の行進の如くでもある様に悄として声なき行進であった。
 彼はこの行進の間、じっと考え続けていた、「奴隷」「去勢」「虐殺」「而し彼らはそれ程馬鹿ではないだろう」「懐柔」「懐柔だ」「そうだ彼らはこの手で来るに違いない、何年も何年も経った後でなければ解らない、しまったと思った時はもう遅い、この手で来るんだ」「脅迫と懐柔」彼はこの静かなる行軍のコースの処々に曝してあった友軍の曝首に、脅迫を感じ、今朝久し振りに食べ物らしい食べ物として豪軍の携行食を貰ったことに懐柔を感じ取っていた。森、林、ジャングル、そして海辺の遠浅な波の静かな、それでも膝くらいまで海水にひたって行軍し漸くボート(大発)のある処まで辿り着いた。大発に乗れる丈け乗って出発した。大発は二隻だったか三隻だったか、それとも一隻だったか覚えていない。南の海は全く青かった。やがて大発はムッシュ島の急造の桟橋についた。周囲○○粁の小さな島であった。






ムッシュ島の日々



 豪軍からの食糧受領は、兵隊一人当たり、一週間分としてコンビーフの小缶一ケ、オートミルの六百瓦位の包一ケ、携行パン一袋位のものだったから毎日、兵隊達はトカゲを捕ったり野菜(サユリ)を採ったり、椰子リンゴを探したりして、喰う事許りに専念した。椰子リンゴとは椰子が芽を出して一、二尺位迄に伸びる間にコプラ(ロウの様に胚乳が内果皮の内側の廻りに固まったもの)が芽の成長の栄養源として油を分解しリンゴの様になる。芽が成長する従って栄養がなくなりヘチマの筋の様になる。芽が余り伸びない内はリンゴの廻り(外側)の部分がバターをぬった様に油が多いし、水々しい。兵隊達は芽の出掛かった椰子の実を見付けると芽(葉の出ているものもある)を両手でつかみ先ず根を大地から引き離し、尖った岩角へ何遍も椰子の実をたたきつけ、固くキリキリに巻き付いている繊維上の皮(中果皮)をむきとり黒たんの様な内果皮を石でたヽき割り椰子リンゴをその儘食べたり、飯盒でサユリと一緒に煮たりして喰う。出掛かった椰子の芽の本の方は小さな竹の子の様で、その儘食べても煮ても美味しい。この様に書いて行くと、サユリや椰子リンゴや食物が豊富にあった様に思われると行けないので一応説明しておく。
 ムッシュ島を今仮に四十平方キロとして東京都の三宅島より小さい小島に一時に一万人からの人口が増えた事を想像して下さい。各部隊の駐屯には宿舎が要る。そのために、木が切り倒され椰子の葉が切り取られ、森の一部が開墾される。付近の野草はつみとられ、動き廻る小動物は食物として捕られ、箒で掃いた様に、生物が影をひそめる。兵隊の行動半径がさらに広がり、食物として摂取出来る動植物はさらに少なくなって行く。サユリ丈はつんでもつんでも二日程すれば又新芽が出て来るので場所を変えれば何とか採取出来た。






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