私の塩汲みもさう長くは続かなかった、チゲに付けた樽を背負って塩水を汲む姿を見るに堪えなかったのか、今度は夜の仕事塩炊きに廻された。夜分の仕事で辛いとは云え、樽を背負って海水を運ぶ程の重労働はない。ラワンの薪が七、八瓩中には十二、三瓩のもあったろうと思われるが、それでも十八リットルの塩水の入った樽に比らぶれば上げ下ろしも楽である。 仕事は夕食が済んで薄暗くなる頃、時計がなかったので、正確な事は解らないが、七時半頃から始めた。前日の燠(おき)が残っていない時は椰子の実の外皮を打って艾(もぐさ)の様に柔らかくした繊維で綯(な)った縄に火を付けて置く火縄から取るのである。土人は火縄の替わりにバルサの様な枯木で火持ちのよい軽い特別な木を持っていてそれに火種を付けて置く、火種が切れた時はその木を椰子の繊維で作った縄で擦すり摩擦熱で火を起こすのである。日本兵は火縄を考案し移動の時は之を持って歩くのである。年越しの祇園詣ででの火縄をくるくると回し乍ら歩く格好を想像すれば直ぐ解ると思う。 火縄から火種を摂る時は大変である、枯草や枯枝に火縄の火を移すのであるから、ぷうぷう吹かなくてはならず煙いやら息は切れるやら、涙と鼻水で顔はくしゃくしゃになる。 細い枝木から粗朶(そだ)、粗朶からラワンの薪へと火を大きくして行くのである。こうして一時間以上も焚くと塩水が熱せられて、ぶくぶくと白い泡が立ち始めだんだんに灰色の灰汁(あく)の泡になる、この灰汁を蚊帳で作った網で掬うのである、掬っては捨て、掬っては捨てして煮詰めて行くのである。 火の燃え加減で多少の違いはあるが、七、八時間で海水は煮詰まり釜の縁の方から白く結晶し始めるのである、この時期に火を止めて、燠を残し余熱で結晶し始めた半液状のものを、椰子の繊維で編んだ団扇で扇ぎ乍片手のしゃもじで掻き回すのである、するとさっと結晶して見る見る内に塩が出来て来るのである。 火の止め具合が難しいのである、早すぎると塩がびぢゃびぢゃで、どう仕様も無いし遅すぎると塩が釜に焼き付いて無駄が出るし、何でも火加減と云うものは難しいものである。一釜で四升(飯盒で軽く四杯)位出来た時は中蓋に一杯位(約二合)くすねて置くのである。塩と野菜が交換できるからだ、塩炊きは重労働ではないかも知れないが、夜中の仕事だし、また暑いニューギニアの釜炊きであるから汗は出っぱなしだし、体力の消耗は中々に激しい、一週間も塩炊きをやっていたら元々痩せてぴょろぴょろしていた私だが、それこそ骨と皮丈けの骸骨のお化け見たいになり歩くのも編上靴(軍靴)一歩を踏み出す事が出来ず編上靴の半分づつ歩くのであるから蝸牛の歩に似て、何をするのにもスローモーションである。 十瓩以上もあるラワンの薪を運ぶ時などは、その重さに堪え兼ねて、薪と一緒にバッタリ倒れて暫し起き上がることも出来ずに真夜中の暗闇の中で一人喘いでいた。 こうして私は一人前の作業が出来なくても、半人前でも四分の一人前でも作業を続けていたのである。余談であるが病気に負けて寝てばかり居り、宛がい扶持の澱粉許り食べていた兵隊の大半はむくんで死んで行った。 私は夜の作業だから昼は睡眠をとり、その間々に野草を採り、宿舎の周辺に出来た爆弾跡の池、(周囲三十米位の真青に水苔が浮き水も緑色になった)に夜の内に釣針に餌を付けて抛り込んで置くのである、針は針金の3糎位に切って作ったものだが、今は思い出せないが多分乾燥野菜か何かを詰めた箱の荷造用の針金か何かが残っていたのではないかと思う。 車輛隊だったので自動車修理用の道具箱の中にあったペンチを持っている兵隊がおったのでそれを借り、暇な折りを見て、針金を3糎くらいに切り一端を丸め糸が通る様な穴を作り、一方をU字型に曲げて、それを石で研ぎ先端を尖らせて、釣針を作るのである。こうして出来る丈け多くの釣針を作って置くのである。餌はミミズである、ミミズはちょっと湿った叢を掘り返せば、いくらでも取れた。空缶に土を入れて置けば1週間でも十日でもミミズは生きていた、だから塩炊き作業に這入る前の一寸した余暇に、釣り針を池に抛り込む事が出来た。 爆弾で出来た池は宿舎の周囲に三ツ四ツあったので、釣れなくなると他に替えた、一本の蔓(つる)に三本位の針を付けて池え抛り込んで置くのである。翌朝引き揚げると一匹か二匹のドンコが掛っていると夢中でバリバリやるのである。針から外す時に未だミミズが口の中に残っている時はミミズを取り除いてから食うのであるがミミズが既にドンコの腹の中に収まっているときは其の儘食って仕舞うのである。ドンコが一匹でも掛かっていない時の落胆は例え様がない、本当に目の前が真暗になる様だ、一歩づつ歩む事の出来ない私(前に述べた通り編上靴半分位の巾しか足が出ない)にとって、流し釣りは一番労が少なくて、効が多い方法だったから、これが不漁の時の打撃は大きい、こんな時は野天に深く掘った大便所へ行って蛆を食う蛙を狙うのである。 カエルの一匹や二匹は必ずと云っていい程便所の穴に住んでいた、それは蛆を食う為に穴へ這入ったのか、誤って落ちたのか蛙に聞いて見なければ解らないが、いずれにしても一旦這入ったら出られない程深く穴は掘ってある。 蛙が居る事は解っていても、さてこれをどうして獲(え)るかが問題である、幸いにジャングルの中に這入ると篠の薮があり篠竹が生えている。篠竹の子(筍の細いもの:親指か小指位の竹の子)は兵隊達が漁って仕舞って中々見付からないが篠の方は沢山ある。古い固そうな篠を狙って切りとり、先を帯剣で鋭く尖らせ、先に鈎を作る、尖らせた丈けでは獲物を突いても滑り落ちて仕舞うから鈎と云うか返しと云うか、切り込みを作るのである。 出来上がった槍で蛙を突くのである。突かれた蛙は、槍の先で手足をバタバタと曲げたり延ばしたりして暴れるが、鈎に引懸懸かり逃げられない。時には蛙は黄金を頭から被っているので槍に刺した儘爆弾の池かチョロチョロと水の流れている沢などで洗い落とし、皮をむきサクサク(澱粉かき)に入れて食うのである。