
幕舎の斜めの屋根に椰子の影が墨絵の様に映し出され、天幕の切り目から十日頃の月の光がチラチラと差し込んでいる。
正確な時刻は知る由もないが、一時か二時、昔で言えば丑三つ時の有らゆるものが寝静まった感じである、潮騒と病兵の寝息の外に時折聞こえる譫言(うわごと)や苦しげな唸り声を気にし乍ら二度目の眠り薬を箸の先にチョッピリ着けて、一舐めし水を呑んで深く息を吸い込んだ。
瞼がだんだん重くなって来た、丁度その時である、何とも重々しく胸苦しさに目を開いた、途端に黒い影が私の胸元から離れ一人置いて隣に寝ている筑波軍曹の上でスウーと消えた。それは二尺余りの小人が黒衣を頭からすっぽり被り裾を引いた影絵の感じであった、そして夢とも現とも解らぬ一連の光景がハッキリと思い出された。
天幕の切れ目から月の光が差し込んでいる、筑波軍曹の頭の方にスウッと黒い影が現れた、それは二尺余りの大きさで、漸く体形らしくなって来た。妊娠初期の胎児を大きくした様な形で、平面的と云っても、一糎位の厚さは感じられた、その癖向こうは透けて見えている、雲か真綿かの様で黒い影のような感じである、その時にこの様な観察を行った訳では、ないが、どの様に云い表せばよいかと考えて、その時のことを想い出している訳であるが、余りに感じを出そうとして、一糎位の厚さまで書いた事が、計った訳でもないのに、滑稽に思われたが実感だから抹消しなかった。
それは黒雲の移動の様に前に現れて後ろが消えて行く感じで移動する、その黒い真綿の様な影はス、スーッと空間を飛んで私の胸の上にのし掛かった、一瞬胸苦しく悶絶しそうになった、その瞬間に私は「筑波軍曹の生き霊だ」と感じた。「コプラが欲しくて私を殺しに来たのだ、そっちがそうなら、ようし祈り殺してやる」その頃私は誰々死すと予言する様になっていたので、法華経が必ず私を守って呉れると信じ、一心不乱に法華経を念じた、次の瞬間私の胸の上はすうっと軽くなり、黒い影が筑波軍曹の頭の方から、スーッと消えて行くのを見たのである。
今までの事が夢ではないかと、ほほを抓って見る、イタイやっぱり夢ではない。それより胸のポケットに入れてボタンを掛けて置いたお題目が半分程引っ張り出されている。
これは夢ではない、私を殺すにお題目が邪魔なのだ、お題目が無ければ生き霊には人を殺す力があるのだろう、私は愈々(いよいよ)筑波軍曹を祈り殺そうと決心した。彼を殺さなければ私が殺される、そうだきっと祈り殺して見せると私は全身の力を集中して、黙祷した「私を守り給え」「筑波軍曹を殺し給え、若し彼を殺さなければ私が殺されます。どうぞ殺すことをお赦し下さい、どうぞ私をお助け下さい南無妙法蓮華経!南無妙法蓮華経」と唱えた。途端に「小野死す」と私の口から言葉となって厳然として迸り出たのである。
頭の先からスーウッと血が氷る思いがした。私は死ぬ、彼と共に死ぬ、そうだ私は人を呪ったのだ。 |